未来を盗み出して

恋い乞い来い」の続き。
チリから好きな人がいると告げられ、自分の気持ちを押し隠して力になろうとする。

「それで聞いてほしい話ってのがな、」

 それなりに飲んで食べて満腹感に包まれ始めた頃、チリが箸を置いて姿勢を正した。毎月恒例の二人きりの飲み会には似つかわしくない真剣な表情に、思わずわたしも背筋を伸ばす。
 あの気まずい空気の中で別れてから一ヶ月経ち、何事もなかったようにチリから飲みに行こうと誘われた。わたしもそれに倣って今まで通りにいいよと二つ返事で快諾するとしかし、改まった様子でチリから言われたのだ、『{{kanaName}}に聞いてほしい話があんねん』と。
 わたし達は会うのこそ月一の飲み会だけだったけれど、普段から頻繁にメッセージを送りあっていたし電話だってしていた。それなのにわざわざ会って話したいというチリに胸がザワついたのは言うまでもない。どんな大事な話かは分からないけれど、何となくわたしが心から祝福出来る内容だとは思えなかった。
 
「ええ、ええ、そんな大層な話ちゃうから」

 ピンと伸びた背筋にチリが慌てて手を振った。そうは言うけどチリこそ深刻そうな雰囲気を作っていて、彼女自身はそれを崩すつもりもなさそうで。きっと面接をする時もこんな風に言っているんだろう。それもまた彼女が怖いと言われる所以のような気がした。
 
「実はチリちゃんにもちゃーんと好きな人がおるって話なんやけど」

 いつかはそんな話も出てくるだろうと思っていた。今までポピーや手持ちの事をそれらしく話すのが楽しくて目をつぶっていたけれど、いつまでもそんな冗談が続くとは思っていなかった。わたしは「へぇ、ようやく言ってくれるんだ」務めて興味がある顔を作ってぐいっと口角を上げた。
 
「それで、どんな人? 向こうには気はありそう? あっ、もしかしてもう付き合ってるとか?」
「こらこら、今から話すやろ、ちょっと待ちぃや」

 せっかちさんやな、チリが困ったように頬を掻いた。
 本当はこれっぽっちも興味なんかない。けれどわたしがチリを好きであり続ける事とチリが幸せになる事は別次元の話で、チリの事を想うなら彼女の幸せを祝ってやるのが道理だった。というより、それしか道はないのだ。チリの幸せを祝福して、わたしもチリに祝ってもらって、そうしてこの友人関係を続けていく以外に未来なんてない。だからわたしは笑顔を作る。
 
「おもろい奴でな、一緒におるとめっちゃ居心地ええねん」「付き合いもそこそこ長いからこっちの扱い方も分かってくれてるし、ええ奴なんやで」「本人は気づいてへんけど、チリちゃんはずっと前から好きやねん」

 口にするのが恥ずかしいのだろうか、チリは困ったように眉を下げつつ頬を緩ませている。それでも言葉は止まらないから、彼女の想いの深さが窺い知れた。
 羨ましいなと思った。どこの誰だか知らないけれど、チリにこんな顔をさせる男がひどく羨ましかった。わたしじゃこんな風にチリの頬を赤らめさせる事も出来なければ、わたしを思い浮かべてうっとりと頬を緩ませることも出来ない。テーブルの下、膝の上で作った握りこぶしをぎゅっと握って、ふつりと湧き上がった悔しさを握りつぶす。
 
「はいはい、惚気はいいから。それで本題は? 付き合えた報告? それとももしかして、結婚…、とか?」
「そんな楽しい話が出来たらええんやけどな。今日は{{kanaName}}に相談があるねん」

 チリの顔から笑みが消える。
 
「悲しいことに片思いやねん。しかも向こうには気になる相手がおってチリちゃんに可能性はほぼなくてな」
「それは…、そう、残念だね」

 思わず口角が上がりそうになるのを、歯を食いしばってどうにか堪える。チリの不幸を喜ぶ人間になっちゃいけない。同情して共感して、チリに寄り添ってあげるのが友というものだ。
 
「チリちゃんも大人やから、あの子が幸せになるんなら付き合えんでもいいんや。でも何やらタチの悪い相手に惚れてんねん。どないしたらええやろ」

 チリの赤い瞳がわたしをじっと見つめる。悩みを相談するニンゲンにしてはやけに力強い瞳をしていて、返事を考える振りをして視線を逸らした。
 
「どう……って言われても、」

 そんなの分からない。分かったとしても言いたくなかった。悪女に惚れた男を正気に戻したら、きっとその彼は呪いを解いたチリに惚れてしまう。
 
「その人は、その女性が悪女だって気づいてるの?」
「本人はそんな事ない言うけど、多分気づいてると思う」

 でも。
 
「じゃあもうその女性はやめろって言い続けるしかないんじゃないかな。聞いてくれるかは分からないけど」

 わたしはやっぱりチリの力になりたかった。チリがそれで幸せになるなら、わたしは手を貸したい。わたしのものにならないなら、せめて世界一幸せになってほしい。
 
「もっとパッと目を覚ませるような方法はないんやろか」
「何言ってるの、そんなのある訳ないでしょ。んー、じゃあいっそチリが告白して『わたしが幸せにします!』くらい言ってみたら?」

 これは恋に落ちて盲目になっているせいなんだろうか、普段は冴えた思考をするチリにしては突飛な質問だった。だから少しふざけて返事をしたけれど、ため息と共にテーブルへ落とした視線がおもむろにわたしへと向けられる。
 
「……分かった。自分がそう言うなら、言うてみるわ」

 それまで不安の見え隠れした瞳に強い煌めきが宿る。軽い気持ちで言った言葉がチリの背中を押したのは間違いなかった。
 チリの力になれたのは嬉しい。でも、告白が成功するのは困る。わたしは決意を固めた眼差しに微笑みを返しながら複雑な気持ちになっていた。
 だから、チリの次の言葉に思考が止まってしまった。
 
「{{kanaName}}、付き合ってない今でさえ自分のこと雑に扱う男は絶対に選んだあかん」

 今話しているのはチリの恋の話で、わたしは一切関係ない。なのにどうしてわたしの話になっているんだろう。顔は真剣だけどチリもそれなりに飲んでいるし、酔って話が飛んでしまったんだろうか。
 
「チリちゃんなら{{kanaName}}の事大切にするし、いーっぱい可愛がってあげる。だから、」

 何を言われているのかさっぱり分からない。もしかしてわたし相手に練習をしている? そうだ、そうに違いない、こんなの有り得ない。だってチリは友達で、決してわたしなんかを好きに――
 
「チリちゃんじゃだめ?」

 目の前に頬を赤くしたチリがいた。深紅の瞳を潤ませて祈るようにわたしをまっすぐに見つめている。

「え、あ、なっ、何言って……」

 何を言われたのか分からない。分からないのに顔は熱く火を噴きそうで、心臓はバクバクとうるさい音を立て今にも胸を突き破りそうだ。
 わたしは混乱する頭で何とか状況を理解しようとして、けれど夢みたいな現実に脳は思考を停止して何かを待っているチリに言葉の一つも返せない。沈黙が流れる。チリの熱い眼差しをただ見つめ返すだけの時間が続いた。
 
「今の言葉、本気やから。よう考えてほしい」

 ちょっとトイレ行ってくるわ。そう言ってチリが席を立つ。
 何がどうしてこんな事になったんだろう。だってチリはわたしの友達で、それ以上の感情を抱くはずがなくて、だからわたしは少しの恨みを込めてチリにチリの愚痴を零していただけなのに。それがどうしてこんな事に。
 その時、テーブルに置きっぱなしのスマホが一瞬震えて画面が光る。いつもは伏せて置いてあるチリのスマホだ。つい視線が光に誘われる虫のように画面へと向いてしまう。
 
「あっ、」

 ロック画面には何かの通知と時計が表示されていた。でもわたしの目が留まったのはそこじゃない。その後ろに見えた背景画像だ。チリがロック画面に選んだ写真はわたしが彼女のドオーと遊んでいる写真だった。
 ハッとして顔を上げる。トイレから戻ってくるチリと目が合った。すっかり酔いも覚めて緊張で強ばった顔が、画面が明るくなったスマホに気づいてぶわりと真っ赤になる。
 その瞬間、わたしは唐突に気が付いた――わたしの覚悟していた未来が現実になる事はなく、夢でしか叶わないと諦めていた幸せが広がっているのだと。
 気づいたら自然と頬が緩んでいて、チリも同じように微笑んでいた。