「am2:00」の続き 目が覚めて目に入ったチリにとある感情を抱く (『#夏の日のワードパレット』4.朝焼け)
目を覚ますと目の前にチリがいた。混乱する思考、反射的に飛び出しそうになる悲鳴、すんでのところでぐっと飲み込んで目を閉じる。何がどうしてこうなった。記憶は曖昧でぼやけていたけれど、必死に昨日の夜の顛末を思い出す。 チリの家に呼ばれて色んなお酒を口にして、上司の愚痴を言ったり出会いがないと嘆いたり。チリからはお酒の蘊蓄を聞いてポケモン自慢もうんざりするくらい何度もされた。他にも他愛もない話をして、そのうち眠気が限界になって、チリに寝室に引っ張られてそのまま眠ってしまったんだろう。その証拠に、いつもならお風呂の後にわたし専用になった部屋着に着替えるけれど今の自分は昨夜のままだ。目の前のチリもそうだから、チリも一緒に寝ちゃったんだろう。 眠るチリを見つめる。今までも何度か泊まっているけれど大抵チリの方が起きるのが早くて、彼女の寝顔を長々と観察できるのは珍しかった。わたしの瞳はチリのまつ毛を捉え、すっとした鼻筋を撫でるように眺め、鼻の頭から落ちた視線は唇に留まった。 普段、特に気にもした事がなかったけれど、こうしてまじまじと見つめてみるとチリの唇はなかなか色っぽい。気づいてしまったら胸がそわそわして、何だか、すごく、とっても、 (キス、したい……) 考えるより先に体が動いていた。わたしは顔をチリに近付けて唇を寄せる。 あと少しで触れ合う、その瞬間、 「――っ!」 はっと我に返って慌てて体を引く。わたしってば一体何をしようとしてるの。 チリ相手に――ただの友達の、それも同性であるチリに、キスしたいだなんて。まだお酒が残ってるのかな、それとも欲求不満なのかもしれない。何にせよ一度チリから離れて頭を冷やした方がいい。チリを起こさないよう物音に気を付けてベッドから起き上がる。 視界に見えた窓から覗く空は夜に終わりを告げ朝を迎えようとしている。夜の濃紺の中に紫がかったピンクが混じり入る。綺麗な空だった。チリを起こそうかな、と振り返って首を振る。今はチリの事は考えないようにしたいんだから、起こすなんて以ての外だ。 けれど、考えないようにすればするほどチリが頭の中を占拠する。チリが頭から離れない。キスしたいだなんて変なこと考えるんじゃなかった、重たいため息が零れる。 昔のわたしなら、そんな事はきっと露にも考えなかった。出会った頃のチリは愛想こそ良かったけれどどこかツンとした雰囲気で近寄りがたかった。親しくなるきっかけがなかったら今でもそうだったかもしれない。 今のチリは始めの頃に比べるとわたしへの態度が随分丸くなって、時々、いや、頻繁にわたしを時めかせる。それは波に揉まれ角を丸くしたシーグラスに似ていた。宝石のような希少価値がある訳はなく、万人が価値を認める訳でもない。けれど、そこには確かに魅力があって、わたしにとっては宝物のような存在だった。 (でも、だからって『キスしたい』はおかしい…、よね) きっと、そういう事から久しく離れていたから馬鹿な事を考えてしまったんだろう。リビングに置きっぱなしのスマホを拾って数日前のメッセージに目を通す。仕事を手伝ったお礼に何でも奢ってやるから食べたいもの教えてくれ、と豪語した同僚への返信がまだ出来ていない。彼は悪い男ではなさそうだしデートくらいは行ってもいいかもしれない。予定を確認して候補をいくつか送る。けれど肝心の食べたいものが思い浮かばず、結局また後で、と中途半端に返事を保留してスマホをソファへ投げ捨てた。 寝室に戻るとチリはまだ眠っていた。わたしはその隣に体を潜り込ませて眠るチリに体を寄せる。 (チリとなら……食べたいものもやりたい事もすぐに思い付くのに) あーあ、中途半端に返事なんかするんじゃなかった。もうしばらくはチリと遊ぶだけで充分、恋人なんて要らない。欲求不満なのはきっとホルモンのせい、一時的なものだからきっとすぐに治まる。けれど、 (まぁ…、チリがしたいなら、してあげるけど) チリの背中に腕を回す。まだ夜明けだというのにチリにくっついたせいか、ひどく体が熱い。けれど不思議と不快感は感じなくて、わたしはその心地良さに目を閉じた。